現在でもこの資格に挑戦されている方は多数いらっしゃると思います。
高校を卒業して、建築関係の仕事をしていましたが、休日に新聞を見ていたら、宅地建物・・・受験申し込み期日の記事を見つけました。何の為の資格かも知らず、名称に建物と入っているので当時の仕事に将来役に立つかもしれない思い、受験申し込みをして、本屋でそれらしき、模擬試験+解説書を1冊購入しました。試験日までそれを丸暗記しましたが、建築基準法の細かい規定は手つかずでした。試験は当時の福岡大学高宮校舎でした。試験場近くまで行くと、それらしき人が大勢いましたが、不思議な事に、皆さん同じ本を持っていました。受験場の手前にその本が売られていました。この本は何ですかと尋ねたら、あきれ顔でこれは不動産小六法という本で、書込や、しおり、頁の目印がなければ試験場に持ち込める唯一の書籍ですと説明されました。受験者は殆ど持っているが、受験勉強の過程で書込をしたり、頁に折り込みの目印を付けている為、試験前のチェックで×になるので、最新版の新品を購入される人が多いので、販売しているが、あなたのような人は初めてだ、是非購入しなさいと奨められました。有り金をはたいて購入し、試験場に入り席につき、買ったばかりの本を見てびっくりしました。必死で暗記した事や、手つかずだった建築基準法の細かい規定や数字が完全に網羅されていました。但し量が膨大だったので、試験開始まで、索引を必死で覚えました。なんとか索引の見方が分かりました。試験はスムーズにいき、何とか合格出来るのではとの手応えを感じました。暫くして、合格通知が来ましたが、不思議な事に、期日と場所の指定があり、正式な合格証を渡すと記されていました。当日久留米地区の合格者が全員揃ったところで合格のお祝いの言葉と一緒に合格証は渡すがあくまでも、試験に合格されただけで、不動産業は開業出来ない。不動産業を開業するのには別の手続きが必要だとの説明があり、初めて資格の意味が理解できました。その後、近所の不動産屋さんが何人かでお祝いをして戴いたのを覚えています。
尚、当時の受験資格は高校卒以上か実務経験3年以上でした。
受験資格と当時の受験状況から見て最年少合格の部類だったと思います。
私の受験した時代は国家試験に移行してそう時期が経過していない時期だったので資格者を増やす傾向だった事が幸いしたと、思います。その後受験者の増大に伴い、問題レベルも上がり、合格者の総量規制のため合格ラインの変動につながり、難関の部類になっているようです。
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